大阪高等裁判所 昭和37年(う)1510号 判決 1962年11月21日
被告人 野口国広
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中八〇日を本刑に算入する。
理由
控訴趣意第一点について
論旨は、原判示第一の(一)の傷害事実につき、被告人は吉田吉己に対し暴行を加えたことはないとして、事実誤認を主張するものである。
しかしながら、右傷害の事実は原判決挙示の該当証拠によつて優にこれを認めることができる。特に右犯行の際被告人が原判示建仁寺境内及び川端通団栗下る付近路上のいずれにおいても自ら手拳で吉田吉己の顔面を数回殴打したことは、被告人において司法巡査及び検察官の各面前で自白しているだけではなく、昭和三六年七月三一日の原審第二回公判においてもこれを認めているのであり、又被害者吉田吉己も司法警察職員の数回にわたる取調に際し、その都度本件傷害を受けた当時の状況につき、同人が団栗橋東詰で待つていると、売春相手であつた女と男四人位が乗つた自動車が来て、そのうちの「上半身裸の男」から「お前は女に帰れと言いながら因縁をつけるのか、男が一旦言うたら後からけちなことを言うな、お前みたいながきは殺してやる。」と言われ、強いて自動車の助手席へ押し込まれて建仁寺境内に連行され同所でその男に手拳で鼻梁や頬を殴られる等の暴行を加えられ、さらに背広の襟を掴まれて川端通団栗下る付近へ連行され、そこでもその男から顔面を殴打される等の暴行を受けた旨詳述したうえ、写真による面割に際し右の上半身裸の男というのは被告人に相違ない旨を確言しているのであつて、これらの事実に証人田中修三の原審公判廷での供述及び同人外二名作成の「傷害事件の容疑者について」と題する書面によつて明らかなように、右田中修三は、既に十月も半ばを過ぎた原判示の日、本件犯行直後である深夜の午前二時過頃、被告人が上半身裸という異様な風体で本件犯行現場に近接した団栗橋付近を大声で「あいつ何処へ行つたか。」とひとりごとを言いながら歩いているのを目撃していることをも考え合わせると、被告人の右暴行の事実は優に認めうるし、さらに香西久代の司法巡査に対する供述調書もまたこの点に対する裏付けとなるものである。そして、被告人の当該司法巡査及び検察官に対する供述調書については被告人において原審でこれを証拠とすることに同意していて、この点に関する被告人の自白の任意性につき疑をさしはさむべき事情は記録上全く認められず、被告人の原審第八回及び第一五回公判における否認の供述も、証人中川定治の原審公判廷での証言に対比すると、前記自白の証明力を減殺するだけの価値をもつものとは認めがたい。又吉田吉己の司法警察職員に対する各供述調書には売春相手の女やその周旋者の写真による面割りに関し供述者の確信のなさを示すような供述記載があることは所論のとおりであるが、これのみをもつて本件傷害被害事実自体に関する右吉田の供述までをも信用性なしとしてこれを排斥するのは当を得ない。さらに所論の証人坂本博司の原審公判廷における供述は、それ自体甚だ曖昧であるばかりでなく、ポン引仲間の被告人を不当にかばう意図がその供述の諸所にうかがわれ、到底信を置きがたい。論旨は理由がない。
控訴趣意第二点について
論旨は、原判示第一の(三)の公務執行妨害の事実につき、被告人は当夜酒に酔つて道路上で左右によろめいていたか又は通行人に突き当りそうになつたというだけで、もとより犯罪を行つたというわけではないのに、これを見た幸長和生巡査部長は、被告人の意思に反してこれを警備詰所に連行し、被告人の肩を押さえて同詰所畳敷きの間の上り口に強いて坐らせようとしたのであつて、同巡査部長の右行為は、もとより現行犯人の逮捕のためになされたものではなく、しかも警察官職務執行法二条二項による任意同行、同法三条一項一号による保護又は酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律三条による保護の限度を越えた違法なものであつて、到底公務の執行とはいえないばかりではなく、被告人は同巡査部長の違法な強制を免れるため同巡査部長を押しのけただけで、なんらの暴行をも加えていないから、被告人が同巡査部長の公務の執行に際しこれに暴行を加えたとして有罪の認定をした原判決には事実の誤認が、又は刑法九五条一項、警察官職務執行法二条二項、三条一項一号もしくは酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律三条の規定の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。
しかしながら、原判示事実を原判決挙示の該当証拠特に幸長和生の検察官及び司法警察員に対する各供述調書と対比すると、原判決は、原判示巡査部長幸長和生が、酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律五条に基ずき、被告人の言動を制止した際被告人において同巡査に対し暴行を加えたものと認定したものであつて、その際における同巡査の行動が所論のように現行犯人逮捕の行為であるとか、警察官職務執行法二条二項にいわゆる任意同行や同法三条一項又は酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律三条にいわゆる保護に当る行為であるとは認定していないことが明らかである。
そこで、酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律五条一項についてみるのに、同項によれば、警察官は酩酊者が同法四条一項の罪すなわち公共の場所または乗物において公衆に迷惑をかけるような著しく粗野または乱暴な言動を現にしているのを発見したときはその者の言動を制止しなければならないこととされている。ところで、警察官が右のような違法な言動が現に行われているのを発見した場合当該酩酊者に対し単に口頭でその自制を促がすなど強制にわたらない限度でそのような言動を防止する措置を採るだけならば、右五条一項の規定をまつまでもなく、これをなしうることは当然である。してみると、同法が特に右の規定を設け、しかも同条項にいわゆる「制止」をその警察官の権限とするにとどまらず、さらにその義務とまでしたのは、その必要な限度を越えないかぎり(同法一〇条参照)、当該酩酊者の意思に反し強制的手段によつてでもさような言動を制圧阻止し、もつて一般公衆の保護に万全を期せしめようとの趣旨によるものというべく、従つて、こゝに「制止」とは強制的手段すなわちいわゆる実力による制圧阻止をいうものと解すべきである。
そこで、ひるがえつて本件事実関係をみるのに、原判決挙示の該当証拠を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、原判示巡査部長幸長和生は原判示日時暴力売春事犯の取締りのため松原警察署団栗橋詰所で立番勤務中、多量の酒を飲み酩酊した被告人が千鳥足で同詰所前の道路の中央部付近を歩いて行くのを現認したので、「もつと端を歩け。」と注意したが、間もなく同詰所東方約一〇メートルの地点付近の道路の真中で被告人は通行中の若い男女二人連れのうち女のほうの肩のあたりにわざと突き当つたので、その二人連れはびつくりして逃げて行つた。そこで、同巡査部長はすぐ同詰所から出て被告人の傍に行き、「酒に酔つて公衆に迷惑をかけるようなことをしてはいかんではないか。」と注意したのに、被告人はこれを聞きいれず、なおも通行人に向つて突き当つて行きそうになつた。当時この道路は自動車や人の通行も激しく、自動車が被告人に妨げられて止まつたりしているので、同巡査部長は、酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律五条一項により被告人のこのような乱暴な行動を制止する必要があると考え、被告人の両手を軽くとらえ、「そんなことをやめよ」とさらに注意をしたが、被告人が同巡査部長の手を払いのけて「何をするのだ。」と反抗的態度に出てきたので、その場では十分に制止することはできないと思い、被告人の右腕をつかみ、前記警備詰所へ連行したところ、被告人がなおも「おれをどないするんや。」と叫びながら、手で同巡査部長の胸を突いて押し倒そうとしたので、同巡査部長は「まあこゝへ坐れ。話をしよう。」となだめながら被告人の肩を押さえて詰所奥の畳敷きの部屋の上り口に坐らせた。ところが、ちようどその時、付近にたむろしているポン引仲間と思われる十数人の男達が「友達をどないしようというのや。」などと叫びながら同詰所内に乱入し、幸長巡査部長の被告人に対する右措置を妨害しようとする気勢を示したので、同巡査部長は右妨害を排除するため所轄松原警察署に応援警察官の派遣を求めるべく受話器を取り上げ通話しようとするや、被告人は、同巡査の顔面を手で突き、受話器をもぎ取つて放り投げた、との事実が認められるのである。そして、記録を精査しても右認定を左右するに足る証拠はない。
してみると、右警備詰所前道路における被告人の行動はまさに同法四条一項にいわゆる酩酊者が公共の場所で公衆に迷惑をかけるような著しく乱暴な言動であり、このような言動が眼前で行われているのを現認した幸長巡査部長が被告人の行動を阻止するため被告人を警備詰所へ連行した行為は、たとえそれが被告人の意思に反する強制的なものであつても、同法五条一項にいわゆる制止に当ることが明らかである。しかも、同巡査部長は右の措置に出るまでに被告人に口頭で注意を与えてその自制を促がし、さらにその場で被告人を制止しようと努力したが、その効果がなかつたのであり、このことに同所が車馬の往来の激しい公道上であることや警備詰所はそこから僅か一〇メートル位しか離れていないことなどをも考え合わせると、同巡査部長が被告人の右腕をつかんで同詰所へ連行したのは酩酊者の乱暴な言動から一般公衆を保護するという見地からすれば、むしろ時宜を得た処置であり、又被告人に対しても不当にその人権を侵害したものとはいえず、それが適法な職務の執行であることは論をまたない。さらにこれにつづいて同詰所内で行われた同巡査部長の一連の行動も、それがさきに認定したような状況のもとに行われたものである以上、同様に制止の措置として適法な職務の執行といわざるを得ない。従つて、同巡査がこれらの職務を執行するに際し前認定のような暴行を加えた被告人の所為が刑法九五条一項所定の公務執行妨害罪を構成することは明らかであり、これと同趣旨の認定をして被告人に対し右法条を適用した原判決には所論のような事実誤認や法令の解釈適用の誤りはなく、論旨は理由がない。
控訴趣意第三点について
本件各犯行の罪質、態様、被告人の前科のある前歴、生活態度等記録に現われた諸般の事情に照らすと、原審の量刑は相当であつて、所論の点を考慮に入れても重過ぎるとは考えられないから、この点に関する論旨も理由がない。
よつて、刑事訴訟法三九六条、刑法二一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 松村寿伝夫 小川武夫 河村澄夫)